Skinny dog ヤセ犬の散歩
1988-
Papua New Guinea National Museum Gallery パプアニューギニア国立博物館ギャラリー、十和田市現代美術館、福岡市美術館、水戸芸術館、山梨県立美術館、世田谷美術館、北九州市立美術館、都城市立美術館、熊本現代美術館、倉敷市美術館、ふくやま美術館、高松市美術館、直島ベネッセアートサイト、霧島アートの森、鹿児島市立美術館、ハラ・ミュージアム・アーク、東京ビッグサイト、上石津町日本昭和音楽村、ミュージアム・シティ・天神、灰塚アースワークプロジェクト、モダンde平野、ルナミ画廊、ギャラリーなつか、ギャラリーSOAP、Moma Contemporary Art Gallery、Media Garden Espace、韓国ソウルSpace imA東亜新聞工場跡、台北當代藝術館、他本当にたくさんのいろいろなアートプロジェクト、文化施設を旅させていただきました。
ヤセ犬:福岡市美術館・北九州市立美術館、都城市美術館、個人所蔵
ヤセ犬の絵画:都城市美術館に収蔵
戦闘機をひくヤセ犬の群像:福岡市美術館に収蔵
「野豚を追うヤセ犬」より 1987年パプアニューギニアにて 藤浩志
パプアニューギニアの村でみかけるそのやせ犬達は、病気で毛がちぎれ、
ハゲハゲのガリガリで、卑屈なまなざしがやたらと印象的だった。
決して人間に媚びることをせず、与えられることをせず、
人目を避けるように人間と共生しているその犬達には、
先進国諸国で豊かに暮らしている「飼い犬」のような生温かさはなく、
かといって自ら獲物を捕らえる野犬のような鋭さもない。
単にボロボロのボロぞうきんのようなヤセ犬だった。
ところがそいつらが、1年に数回だけ村で特別な儀式があるときに、
人間達といっしょに野豚狩りにでかける。
人間の仕掛けた罠に獲物の野豚を追い込むのがヤセ犬達の仕事だという。
村人達は特別な儀礼のときだけ豚を食べる。
その食べカスがヤセ犬達にとっては唯一のご馳走であるらしい。
僕は走る姿すらも想像できないそのヤセ犬達が、
野豚を追っかけるなんてとても無理だろうと思っていた。
しかし、僕はそこでものすごいものを見てしまった。
そのヤセ犬達が野豚を見つけた瞬間、すごい!
全身にエネルギーが満ち溢れ、変身してしまった。
そしてまるで猛獣のように猛然と、一斉に、すごい勢いで野豚を追い始めた。
その姿があまりにもすごくて、僕の体は思わず震え始めた。
僕の脊髄に何かが走った。
感動で涙が出るほど「美しい」と思った・・・。
1997年、パプアニューギニア奥地での「野豚を追うヤセ犬」との出会いが、僕自身の「美術」に対する核心となる。その出会いの感動を記憶にとどめるために101匹のヤセ犬を彫刻しようと決めるが、パプアニューギニアでは5匹しか仕上がらなかった。(あまりにも暑すぎて)その時の展示が「戦闘機をひくヤセ犬」(パプアニューギニア国立博物館で展示)です。展示を終えて、帰国する時、5匹のヤセ犬だけを日本に持ち帰り、戦闘機は当時勤めていたパプアニューギニア国立芸術学校デザイン科の教室の天井にさかさまに吊り下げて展示した。(数年後に回収し、現在は福岡市美術館の収蔵作品)
帰国後、東京の地上げ屋に就職して取壊す前の木造家屋を転々と暮らしながら、その大黒柱をもらって一軒の取り壊される家から一匹のヤセ犬を彫りつづけ東京で5匹制作。その後拠点を鹿児島に移し大島紬の廃工場を転々と作業場にしながらそこの木材からやせ犬を彫り続け11匹制作。最終的に1993年に鹿児島で起こった水害で崩れた当時暮らしていた農家の納屋から柱をもらって制作し、結局101匹のヤセ犬が彫り上がったのは1996年。その7月、101匹のヤセ犬とともに作業場の工具や生活用品をトラックに積み込み、鹿児島から次の拠点を探して東京ビッグサイト→岐阜上石津町音楽村→広島灰塚アースワークプロジェクト→福岡ミュージアムシティ天神と101匹のヤセ犬と展覧会を転々とし、最終的に福岡の糸島の筑前深江に農家を見つけ移住を決める。
ヤセ犬の視線は下からの視線。上から物事を見下ろしたり、俯瞰したりせず、同じ高さの目線どころか、下からの目線で、常に弱者の視線で、物事をじっと見つめるということ。大きく語るわけでも、力強く正面から向き合うわけでもなく、圧力を避けながらも距離を取り、振り返り、じわっと物事を見つめようと態度。それを心に刻もうとした。
野豚を追うヤセ犬の物語 http://www.geco.jp/top.page/DogsWalk/YaseinuStory.htm
※ ノートに記されたこの文章がヤセ犬をについて語る上でとても重要な文章となっています。なお、この文章はあくまでも詩のような形で記されていたためにヤセ犬物語捏造説もある。それについてはエキサイトのブログサイトで探してみてください。
この動画は1988年当時、青年海外協力隊員として赴任したパプアニューギニアで撮影した映像を、2005年福岡市美術館での展示をきっかけにインタビュー画像を追加して再編集したものです。当時の撮影は画質がとても悪いですが、今となっては貴重な記録映像です。
編集・撮影:インタビュー:泉山郎士
※その後の、ヤセ犬の物語の記録と記憶の深い話はこちら。
https://geco.exblog.jp/4006619/